価値観

ある本にこう書いてあった。
女性は主観が優先されやすい。
つまり、自分から見た時にどう感じるかを把握し共感する。
自分が愛するものを愛でる。自分の近くにあるものを愛でる。が強く出やすい。
一方で男性は客観視が優先されやすい。
つまり、全体の状況分析を行い現在の状況から判断を下す。
周辺で起こることを把握し、目的達成のための判断を下す。が強く出やすい。

さて、重要なことは女性、男性の別ではない。主観と客観という2つの区分があるということだ。
主観が強くなりすぎると自分もしくは自分が愛でるものへの承認欲求が強まり、承認が満たされない状況が来ると絶望する。
客観が強くなりすぎると目的達成のための状況分析が全てとなり周囲への配慮がなくなる。

幸せを感じるという意味では承認欲求が高まりすぎるのは、心のバランスとして良いとは言えない。承認は自分でコントロールできない分野だからだ。
ある目的、目標をもってそれを突き詰める客観的な価値観の形成が幸せにはおすすめだろう。

助けてほしいと思ったとき

漠然と助けてほしいと思ったときにどうすればよいかわからず、知恵袋の回答を見たら、人に頼ろうとするのではなく、人から頼られるよう手を差し伸べる人間になりなさいとあった。

なるほど。なるほどと。
自己肯定感が低くなっていて何をやっても…となっていっているという仮説は当たっている。いろんな人から感謝されることでありがとうと言ってもらうのは1つの答えかもしれない。

ただ、ただただありがとうを求める人になるのもつらそうだ。良いと思うことをやって、それが良いと評価されるのが好循環。
今の自分は、こうしたら良い評価を受けられるのでは?という行動の塊で、それが気持ち悪い原因なのだろうと思った。

1歩ずつ、考えを深めて人生を深めることだ。

心の中の主語

ふと気づいた。
心の中で考えてることが〇〇さん(自分の名字)って…と他人から話題にされる想定が多いことに。

それはつまり、他人からどう見られているかを考えていることが多いということ。
それよりも素敵だな。面白いな。楽しいな。怖いな。悲しいな…といった周りに対する自分の感情を大事にしたい。

1日で1番多いのは実は自分との対話なのか。だとしたらその質は人生にものすごく影響するということだ。
素晴らしい人格者や有識者と毎日対話している人間と、全てに否定的な人間と毎日対話している人間のどちらが成長できるだろうか。

自分の在り方を大切にする価値が見つけられないできたけど、今、それを見つけられた気がする。
実直で真っ直ぐな考え方を斜めにみるようになってきていたが、改めて実直で真っ直ぐに自分が正しいと思う方に生きたいと思った。

自分の価値は誰が決める?

自分の価値は誰が決めるのか。
①自分の価値は自分が決める。
②自分の価値は他人が決める。
③自分の価値は自分と他人両方で決める。

自分の人生の測定を他人の評価ではないもので測りたいと思ったが、どうにも他人の評価から逃れられない。
会社で後輩が昇進すれば身を焦がすような悔しさを感じる。なぜ自分ではないのかと。
一方で昇進した先にある仕事が魅力的かと自分に問えば魅力を感じていないらしい。
後者ならば昇進にこだわることもないではないかと思うわけで。

結論としてたどり着いたのは「自分は自分の価値を自分の価値観で測定することしかできない」ということ。
私の価値観の中に、会社の中での昇進は価値のあるもの。もしくは他人に劣位がない立場でいることは価値があるもの。という内容があるのだろう。
その結果、昇進しない今の自分は、自分から見るとその点については低い評価がついてしまっているということ。

だから、私の答えは①。
ただし、①だが容易に修正できない。という条件がつく。その理由はわからないが、今まさに、私が容易に修正できないジレンマに陥っている。

なので、私の次に問いは、
価値観の形成はどのようにして成されるのか。